無敵のメンタル

 

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のっけからお詫びしておこうごペンなさい。

苦手なんすよ。塾長のお題で書くの。

 

自分の中から涌き出た記事じゃない時は、

後から編集更新しがちなんです。

なんなら何日か経過してコッソリ編集更新したりして。

 

 

すでにたくさんの松江塾ブロガーさんが

無敵な言語化をされてるから

ポレひとりくらいバックレてもいんじゃね?と

本音はコッソリ隠れていたい。

 

 

でもブログ名に【初代公認】ウキウキ書いちゃった。

親指バッテリーにも励まされている。

 

需要と供給を考えたら

天秤が傾き過ぎたらダメですよね。ダメかな。ダメだろ。

 

 

 

えー・・無敵メンタル?

 

言語化してるうちに答えが出るかもしれません。

書き始めてみましょう。

(考えながら書いてみます)

 

 

 

無敵メンタル、というのは

自分がひとりでいる時には必要ありませんね。

 

自分以外の比較する誰か、がいてこそ

無敵のメンタルが必要になりますね。

 

しかも自分以外の誰か、が

嫌なヤツだったりすると余計に必要ですよねぇ。

自分の行動や思考に余計なちょっかいを出された時は特に

必要かもしれませんね。

 

 

だとすると、

社会人になってからポレが発見した

こちらの言葉でだいたい済みませんかね。

 

 

『うるせーよ。オマエごときが私に影響しようなんざ、100年早いわ!』

 

 

そう。

 

私が何に影響されるかは、私が決める。

少なくともオマエじゃねえから

来世で出直せ。

 

誰かの影響で気分を害する時は

たいていコレで乗り越えてきました。

 

でも喧嘩腰に拒否する感じが

ただの強がりで

自分の装備として馴染んでいない気はします。

 

 

 

どんな言葉も風吹く柳のようにしなやかに上品に

笑顔で受け流せる方に出会うと

 

参りました。と思いますね。

参りましたと思う時点で無敵メンタルは私の装備に無いですよ。

 

 

本当に最強なのは

無敵メンタルなんて言葉を何も意識せず

誰と比較する意識もなく

無意識に装備している人です。

 

今まで出会った中にも

何人かいましたね。

どこで誰と何をしても大丈夫!

っていう太陽のように輝いた人。

 

 

そういう人は

何に影響されるかを

自分で取捨選択していた気がします。

 

そしてその選択が違うなーと感じたら

後悔することもなくサラリと「やっぱやめとくわー」

と柔軟に変化していきますね。

 

そんでたいてい感情が安定している。

何物にも左右されない幹の太さを感じますね。

 

 

 

柔軟。

自分で選ぶ。

楽しく動く。

 

どうしたら育つのか?

 

 

やはり自分軸で「私はどう感じているのか」を常に意識させたいですね。

 

そうはいってもここは日本。

自分の意識の位置と

周囲の意向の位置とがズレると

いやはや難儀な国ですよここは。

 

自分の感情の妥協点はどこか。

許容範囲はどこまで広げられるか。

そんな訓練も必要だなんて難儀だなぁ。

 

でもその訓練も国内に限定しなければ

使い方しだいで武器になったりしますしね。

 

 

昔、藤本ひとみさんの本のあとがきで読みました。

『あなたの音楽では成功しないよ?と彼に伝えてみたが、「地球は広いからね、どこかに僕の音楽を喜んでくれる人がいるさ」と言って、彼は飛行機で飛び去った。』

 

サボテンが北極で花を咲かせる必要はない。

ペンギンがハワイで泳ぐ必要はない。

 

こんな風味のことを語ってくれたのは…西の魔女だね。

 

 

 

結論:

無敵メンタル…あれば助かるけど無くてもいんじゃない?

持ってる人も何かしら悩んだりするわよきっと。

無ければ無いで、自分が呼吸しやすい場所で花を咲かせればいいって。

 

 

ほらやっぱり。ポレさん寄り道して迷子ですー。

先生ごめんネ☆