兄妹喧嘩の思い出

 

兄弟(きょうだい)

姉妹(しまい)

姉弟(してい)

兄妹(あにいもうと)…なんで!?

日本語マカフジギすぎるでしょ!! 小学校の国語の思い出です。

 

 

 

 

naoさんの記事を拝見して、自分の子供時代を 思い出しました。

 

naomama2023.hatenablog.com

 

 

私の思い出なんて 誰の役にも立ちませんけれど

デジタル備忘録ということで 書かせてくださいな。

すみませんnaoさん。失礼いたします…

 

 

 

 

 

私と兄は2つ違いです。兄が中3なら、私は中1。

たしかに喧嘩が多かった。理由は覚えてませんが、多かった。

でも、母親に介入され過ぎなかったら、

もう少しマトモな関係性が築けたかもなぁ、とちょびっと思います。

 

私が小1の3学期直前に引っ越して 友達もいない冬休み。

かぎっ子兄妹で 兄は私のお人形遊びにつきあってくれました。

お昼ごはんは 兄が主導して ごはんの準備をしてくれました。

無口なぶっきらぼうですが、優しい性質だと思います。 あ、生きてます。

 

 

でも、小学校の高学年あたりから?寄るとさわると 喧嘩ばっかり。

あんまり喧嘩しすぎて、父親に反省文を書かされたこともありました。

 

 

喧嘩するたびに、母親が必ず言ってました。

 

おかあさんの兄弟はいっつも仲良しで、喧嘩なんて絶対しなかったのに、あんたたちは近づくと喧嘩ばっかり!

おかあさんのお兄ちゃんはもっと優しかった!おかあさんだってお兄ちゃんにそんな言い方しなかった!

もう、ウンザリ!あんたたち2人は近づくな!!

はー、たった2人の兄弟なのに!どうして仲良く助け合えないのよ。まったく情けなくて、おかあさん涙が出てくるわ。(と、ホントに涙ぐむ)

 

 

兄の感情は聞いたことが無いので

どう思っていたかは、さっぱりわかりませんが、

 

私たちはそんなにダメな兄妹なのねー

普通はもっと仲良しなのかー なんかすんませーん。

と思っていました。

 

 

そのうち兄に反抗期が来て、

反抗期の兄は なんか怖かったので 近付かず

反抗期を終えた兄は 寡黙で やっぱり近付かず

だからといって困ることもなく。

 

だって、性別の差もあって、趣味嗜好も全然違ってきて、

共通点なんか無いから、そもそも会話が必要ありません。

 

必要な時に 必要なことを 連絡事項して、

ん?て思うことを 無口同士が聞き直す。

 

 

でも母親は、

寄るとさわると喧嘩する私たちのイメージを 変えられなかったようで、

無口同士が淡々と会話するだけで

「また喧嘩!ハイ離れて離れて!あんたたちは近付くな!!」

と言われること、何回あったかな。

違うよ普通の会話だよう、と 兄妹で伝えても、聞く耳なし。

 

兄にウンザリではなく

兄と会話すると叱る母親にウンザリして

あんまり話しかけませんでした。

 

 

そのうち私が高校卒業して家を出て

そのまま自分の居場所を自分で決める人生を選んじゃったので

兄と会話する感覚が切れたまま、今に至ります。

 

 

 

 

で、オットと結婚して、実家に挨拶して

「いやー、悪いけど、お義母さん変わってるよなー」

と言ってくれて、ホッとして

 

「ポレんちのお兄さんがマトモで良かったわー」

と言われて、ちょっとビックリとしたのでした。

 

見た目が引退したプロレスラーみたいなので、

幼児だったタカラが怖がって 兄に近づかず…笑

スマホアンパンマンを観せながら、

低い姿勢でそーっとタカラに近づく兄が、

やっとマトモに見えました。ここまで長かったなぁ。

 

連絡無いし、LINEも無いし、兄妹の絆は全然無いけど、

オットが「お兄さんは普通の社会人でしょ」と言ってくれたので

帰省して 母親の見ていないところで ちょびっとは話せるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が大人になってから、

母の姉(伯母)と、母の兄(伯父)に

昔話を聞いたことがあるんですよ。(六人兄弟)

 

「そりゃー〇〇(私の母)は、末っ子だもんな。年も離れとる。喧嘩にならん」

てさ。

 

オイオイ前提が違うじゃねーか(怒) と思いましたよ。