加害者 被害者 傍観者

 

幼いタカラに読み聞かせていた

ちょっと難しい絵本がある。

 

【二番目の悪者】

 

 

傍観者の立ち位置について

考えさせてくれる絵本だ。

 

 

 

多様な意見があるので正解は無いだろう、

と予防線を張っておく。

 

 

いじめは無くならない。

なぜならそこに快楽を感じる脳があるから。

 

誰かを貶めることで

自分の万能感を満たし、多幸感が溢れる。

 

他者と比較して 他者を貶めることで

自分の優位を誤解し、人生の勝者のように思える。

 

自分の中で幸福や達成感を生み出せないから

他者を使って自分の人生の満足度を上げる。

 

いじめとは、そういうものだと認識している。

 

 

だって〇〇だったから。

 

自己都合な理由を上げることは出来るが、

その行動が許される理論は存在しない。

 

結局は自分がそれを楽しんでいる。

快楽を止められるほど 人間の脳は利口じゃない。

 

 

ではどうするのか。

 

その行動がマスターベーションと変わらないと

知っていることは大切。

 

公開自慰行為、と変換できるような

恥ずかしい行動だと知っていることは大切。

 

多幸感を得る行為は

世の中にたくさんあると

知っていることは大切。

 

快楽を感じる回路の動きは単純で

行動の内容がどうであれ

結局その神経回路は単純なまま。

 

 

だったらどうする?

 

ひとりで戦っちゃダメだよ。

 

自分で自分の幸福を作り出せないような奴からは

逃げるに限る。

 

尻尾を巻いて逃げるんじゃない。

戦略的撤退、同じ土俵に立つなんて

自分の価値が下がるじゃないか。

大騒ぎして あっちもこっちも巻き込んで

解決なんて親切なことしないで

切り捨てて進んでいい。

 

 

親なら誰でも願うだろう。

被害者にならないで欲しい。

加害者になんて もってのほか。

 

では傍観者は?

 

 

たぶん傍観の仕方によるのだと思っている。

天知る 地知る 己知る

 

煽る野次馬なら 罪は重いが、

正義感を振りかざすのも正しいとは思えない。

 

被害者にも 加害者にも 逃げ道が必要だ。

正義のヒーローになる以外にも

勇気の出し方はある。

いわゆる『ざまあ』は、スカッとするだろうけど

その先に続く解決策としては、うーん、どうだろ。

 

 

そして、こんなことを 子供たちは

いつ どこで 誰に 学ぶのかな?

道徳の時間じゃないことは確かだ。

polepoletrust.hatenablog.com

結論が出せない物事は、

世の中にけっこうあるよね。